Z初 國Z
未生以前〜

Z橋本 倫Z
HASHIMOTO OSAMU

2013年3月15日(金)〜5月19日(日)

A.M.10:00-P.M.6:00(入館はP.M.5:30まで)
毎週:月・火休館
入館料/通常料金 500円

●オープニング・パーティー 3月16日(土)15:00〜

特別プログラム
●5月
6日(月・祝日)15:00
〜 アーティスト・トーク開催





※ブログをはじめました。美術館からのお知らせや日々の様子をお伝えします。

第一・第二展示室

初 國〜未生以前〜 橋本倫
 

 この展覧会タイトルに、私は万感の思いを籠めている。先ずは、2011年に発生した東日本大震災との関わりで、二つ目は、斯かる自然の猛威に曝され続けてきたこの国土に於いて誕生したスサノオ神なる神格と、『古事記』編纂1300年記念という節目の年との関わりで、三つ目は、2006年6月20日に逝った縄文芸術評価の大詩人・宗左近こと古賀照一が見出した"怪奇面"との関わりで、そして最後は、この横須賀の地との関わりで。

 2011年10月、私は横須賀に隣り合う北鎌倉で、「北溟」と名打った個展を行った。会場は、奥深い山中にある元寺院跡地に建てられたギャラリー・スペースで、そこは崖地からテラス状に迫り出し、北東へと舳先を向けていた。建物の空間は、偶然にも中世に出現した阿弥陀堂の構造を具え、私はそこで補陀落渡海と山越阿弥陀図のテーマが、東日本大震災に対する私の内的反応と絡み合う作品群を発表した。


 船、又は丸木舟、そして洋上を進む霊柩のイメージ。

 被災した福島の白水阿弥陀堂(平安時代末期)の空間構造は、偶然にも北鎌倉に於ける発表会場と瓜二つのものであり、そこでは常に、出帆と航海のイメージが纏わり憑いた。この航海のイメージには、あのヒルコ=蛭子=恵比寿=秦河勝のイメージ、弥勒船や空穂船のイメージが底に潜んでいた。
 秦河勝は、壷(空)船に乗って漂い着いた先にあって、文明と共に大いなる災厄をも齎す存在と化したが、これは破壊神と創造神の二面を供える"大キニ荒ルヽ神"スサノオやアッポローンやシバの神格にそのまま通じるものだ。沿岸に破壊と豊漁を齎す海洋の神威は、海から上陸して沿岸部を混乱に陥れる伝説上の秦河勝や、福の神へと変貌したヒルコによっても代表されるが、これは、海洋渡航自殺が西方浄土での至福の転生に通じるという補陀落渡海の思想とも二重写しになってくる。

 業ヲ子孫ニ譲リテ、世ヲ背キ、空舟ニ乗リ、西海ニ浮カビ給イシガ、播磨ノ国南波尺師ノ浦ニ寄ル。蜑(あま)人舟ヲ上ゲテ見ルニ、化シテ神トナリ給フ。当所近離ニ憑キ崇リ給シカバ、大キニ荒ルヽ神ト申ス。スナワチ大荒神ニテマシマス也。コレ、上ニ記ストコロノ、母ノ胎内ノ子ノ胞衣、「ちはやノ袖」ト申セルニ符合セリ。[胞衣ワスナワチ荒神ニテマシマセバ、コノ義合エリ]。ソノ後、坂越ノ浦ニ崇メ、宮造リス。(……)所ノ人、猿楽ノ宮トモ、宿神トモ、コレヲ申タテマツルナリ。コヽヲ以テモ、翁ニテマシマスト知ルベシ。サレバ翁ノ御事、大荒神トモ、本有ノ如来トモ、崇メタテマツルベキ也。

金春禅竹(1405〜1471)『明宿集』
 
 

 しかし、こうした文字化され、或いは仏教化された文脈の中に昇華されていく以前の、骨無く蠢くヒルコが持つ、謎めいた生物学的イメージが原形質の闇のように水中で渦巻く"久羅下那州多陀用弊流 (くらげなすただよえる)"そして"如葦牙因萌騰(あしかびの如くもえあがる)"構図こそ、本来、この国の土壌に豊かに根付いていた筈の根基のイメージであって、宗左近は、この点を奥底まで見抜いた稀代の目利きであった。
 従来から、縄文芸術の最高峰を火焔土器群に置く視点は枚挙に遑無く、岡本太郎もその例外では無かった。しかし、宗は違った。彼はそれらを圧倒的に凌ぐ上位に、空前の名作、"怪奇面"を置き、その本質が"未生以前"にあると喝破した。これこそ、ヒルコの原型イメージであり、火焔土器という公式イメージに結実する以前の、混沌たる原型=アーケタイプに他ならない。
 考古遺物たる"怪奇面"は、厳密に言えば、有孔鍔付土器の装飾の一部ではあるが、完全に独立した造形として成立し、彫塑芸術としても古今に比類無い。全世界でこのレヴェルの神秘的な作品を産み出した文明・文化は、管見の限り人類史上で日本以外に唯の一度も存在したことが無かった。日本は中国本土や朝鮮半島とは全く異なるタイプの、文字史以前の1万年に及ぶ芸術文化の絶頂が継続したのである。この事実は、現代に伝わり、尚も陸続と出土する縄文時代の偉大な作品群、とりわけ中期から後期にかけてのめくるめく渦巻き造形の徹底振りとその精密さを目の当たりにすれば、直ちに理解されよう。   
 もし、韓国人が絶えず口にしてやまないように、あらゆる文化のみならず人間までもが朝鮮半島から日本に伝わったのだとすれば、何故、こうした表現特徴を有する火焔土器片の一つすら半島から出土しないのか?数億点にも上ると推定される縄文土器の、それも絶頂期の名品に匹敵する彫塑遺品が、何故出土しないのか?不思議ではないか。日本人こそ、この点に思い至るべきである。『古事記』は、縄文時代に完成された神話学の文字記録化であって、縄文時代最後の文化遺産なのだ。

 昭和56年10月から12月にかけて、横須賀市久里浜町8丁目にある伝福寺裏遺跡で発掘が行われた。これは、神明町に於ける市南部清掃工場建設のための下水道工事に伴う事前調査として行われたもので、この現場から、5500〜5000年前のムクノキを刳り抜いて造った全長3mの丸木舟が出土した。 この船の出土地点は、当時、衣笠付近まで入り込んだ広い湾の入り口に位置しており、舟は、この湾内−古久里浜湾−を往来していたものと想われる。この舟は現在までのところ、神奈川県で発見された唯一の縄文時代の丸木舟であり、この舟のイメージが衣笠=平作にかけての古久里浜湾のイメージ、そして北鎌倉に於ける補陀落渡海と霊柩舟のイメージと結び付き、私を何か非常に深いところで符合するイメージ群によって海原のように満たした。そしてそれらが、古城址の存在する衣笠のイメージ、強弓を作り出した兵器製造集団の住まう土地であった矢部の史実、海洋民族としての三浦半島のイメージ等と複雑に化合し、干渉し合い、スサノオの荒御霊の神格へと収斂して行ったのであるが、東日本大震災により尋常ならざる衝撃を蒙った我々の精神にとっては、これらの絢爛たるイメージ群は、まるで秦河勝が籠った壷舟のように原初の一点へと帰せられ、総括されるべきものであった。その言葉、イメージこそ、国を肇(はじ)めること−「初國」−である。

 絶えず原点に還り甦り続ける「初國」の無限の生成感を言挙げした男こそ保田與重郎、この文章を記した11月25日が三島由紀夫の命日と重なったことは今、偶然ではなく、何より衣笠/平作の地に在る「カスヤの森現代美術館」にて「初國」のテーマを言挙げすることは、尚のこと偶然ではない。

(平成24年11月25日 橋本 倫 記)

Back