船、又は丸木舟、そして洋上を進む霊柩のイメージ。
被災した福島の白水阿弥陀堂(平安時代末期)の空間構造は、偶然にも北鎌倉に於ける発表会場と瓜二つのものであり、そこでは常に、出帆と航海のイメージが纏わり憑いた。この航海のイメージには、あのヒルコ=蛭子=恵比寿=秦河勝のイメージ、弥勒船や空穂船のイメージが底に潜んでいた。
秦河勝は、壷(空)船に乗って漂い着いた先にあって、文明と共に大いなる災厄をも齎す存在と化したが、これは破壊神と創造神の二面を供える"大キニ荒ルヽ神"スサノオやアッポローンやシバの神格にそのまま通じるものだ。沿岸に破壊と豊漁を齎す海洋の神威は、海から上陸して沿岸部を混乱に陥れる伝説上の秦河勝や、福の神へと変貌したヒルコによっても代表されるが、これは、海洋渡航自殺が西方浄土での至福の転生に通じるという補陀落渡海の思想とも二重写しになってくる。
業ヲ子孫ニ譲リテ、世ヲ背キ、空舟ニ乗リ、西海ニ浮カビ給イシガ、播磨ノ国南波尺師ノ浦ニ寄ル。蜑(あま)人舟ヲ上ゲテ見ルニ、化シテ神トナリ給フ。当所近離ニ憑キ崇リ給シカバ、大キニ荒ルヽ神ト申ス。スナワチ大荒神ニテマシマス也。コレ、上ニ記ストコロノ、母ノ胎内ノ子ノ胞衣、「ちはやノ袖」ト申セルニ符合セリ。[胞衣ワスナワチ荒神ニテマシマセバ、コノ義合エリ]。ソノ後、坂越ノ浦ニ崇メ、宮造リス。(……)所ノ人、猿楽ノ宮トモ、宿神トモ、コレヲ申タテマツルナリ。コヽヲ以テモ、翁ニテマシマスト知ルベシ。サレバ翁ノ御事、大荒神トモ、本有ノ如来トモ、崇メタテマツルベキ也。 |